今回は長い間、憧れていたエーゲ海のサントリーニ島に行きました。
目の前のエーゲ海を眺めながら、のんびり過ごしたあと、スイスのインターラーケンまで行って、登山列車でヨーロッパで最も高いところにある、ユングフラウヨッホにも行きました。
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今回は長い間、憧れていたエーゲ海のサントリーニ島に行きました。
目の前のエーゲ海を眺めながら、のんびり過ごしたあと、スイスのインターラーケンまで行って、登山列車でヨーロッパで最も高いところにある、ユングフラウヨッホにも行きました。
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セントレアからデトロイトで飛行機を乗り換えて、ニューヨークまで13時間半。
ニューヨークは3度目だったので、今回はミュージカルとジャズクラブを楽しみにして行きました。
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ラガーディア空港から、ホテルがあるタイムズ・スクエアまで、タクシーで約30分。
フロントの女の人が、眺めのいい部屋を探してくれたので、40階の部屋からタイムズ・スクエアが、すぐ目の下に見えました。
イエローキャブ(黄色のタクシー)を見ると、「ニューヨークに来たあ」って実感します。
着いたのは夕方でしたが、まだ明るかったので、早速外に出て近辺のチェックです。
ホテルから出てすぐのところの劇場では、ミュージカル「ライオン・キング」の開場を待つ人の長い列ができていました。
人ごみの隙間をぬって歩きながら、今まで行ったことがなかった「グランド・セントラル・ターミナル」に行ってみることにしました。
タイムズ・スクエアの真ん中に派出所があって、おまわりさんもあちこちいっぱいいるので行き方を聞くと、歩いて6ブロックだと教えてくれました。
途中に行きたいショップもあったので、のんびり歩いていくことにしました。
のんびり買い物をしていたので、グランド・セントラル・ターミナルに着く頃には、もう薄暗くなっていました。
マンハッタンを代表する歴史的建築物、グランド・セントラル・ターミナルは、映画の撮影にもよく使われているし、ニューヨークと他の州を結ぶ駅でもあります。
構内にはショップやレストランもあって、その中で目にとまった、OYSTER BAR RESTAURANT(オイスター・バー・レストラン)に入ってみることにしました。
思ったよりずっと広くて、左と右でテーブル席とカウンター席に分かれていましたが、テーブル席は満席でした。
そして、中に入った途端に日本人が急にたくさん現れたんです。 ?? どうして?
ひょっとしたら、ガイドブックに載っているおすすめのレストランだったのかもしれません。
(あとで調べてみたら、やっぱり載っていました!しかも要予約でした。)
帰りはもちろんもう真っ暗だし歩いて帰るのは・・・と思って外に出ると、ちょうど目の前に日本の観光地によくあるような人力車の乗り場(?)があって、空いている車があったので、ホテルまで乗って帰ることにしました。(1人10ドル。)
Paddy Cab(パディ・キャブ、そう呼んでいました。)を走らせるのに、特に何もルールもないらしく(たぶん)、タクシーと並んで結構なスピードで走ったり、広い道路をわざとジグザグに走ったりしていました。
運転をしていたお兄さんは、北野たけしの大ファンで、映画は全部見てるって言ってました。(断然、私より詳しかったデス。)
おまけに、柔道を習っているという日本びいきの人でした
好きな野菜をたっぷり入れてもらったサラダもいっしょに食べて、朝からヘルシーです。
20年近く前に初めてニューヨークに行った時は、危険だから地下鉄には絶対乗らないようにって言われていましたが、随分変わりました。
今は安全だし、安いし、速くて便利です。
(夜遅くは気をつけた方がいいかもしれません。)
今回は1週間の滞在だったので、1週間乗り放題のメトロカード(25ドル)を買いました。
地下鉄のFifth Avenue/53 Streetで降りて外に出ると、すぐそこにMoMA(ニューヨーク近代美術館)があります。(入場料 20ドル)
壁面の左から右までという大きなこの絵の前には長いすがあり、座ってずっと見入っている人もたくさんいました。
他にも、マチス、ダリ、ピカソ、シャガール、ミロ・・・と、教科書で見たことのある有名な見覚えのある絵が、次々と目の前に現れて、ただただ感激します。
写真撮影もOKで、「え? ほんとにいいんですか?」って感じです。
(フラッシュは禁止です。)
夜はグリニッジ・ビレッジにある、ジャズの名門クラブ ‘Village Vanguard’(ビレッジ・ヴァンガード)に行きました。
ここは、ソニー・ロリンズ、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン・・・などそうそうたるミュージシャンがライブ録音もしたこともあるという、歴史的クラブです。
チケットは日本からインターネット予約してあったので、開場と同時に優先的に店内に入れ、ステージ近くのテーブルにつくことができました。
気がつくと、狭い店内に人がぎゅうぎゅうに入っていて、演奏が進むにつれて、一体化していきました。
(音楽には、人種も、国籍も、年齢も、言葉の違いも何もないんですよね。)
演奏が終わって外に出ると、第2ステージの開場を待つ人がすでに大勢集まってきていました。
演奏していたのは”BARRY HARRIS TRIO”でした。
ここで、おまけです。
せっかくなので、前回、2005年に行った時の「自由の女神」も載せます。
(やっぱり、「ニューヨーク旅行記」なので。)
「自由の女神」に行くには、バッテリー・パークからフェリーに乗らないといけないんですが、日曜日だったので、フェリーのチケットを買うのに長い列に並びました。(乗る前には厳重なセキュリティー チェックもあります。)
テレビや雑誌で見慣れた、自由の女神も目の前で見ると、その存在感に圧倒されます。
フェリーは、自由の女神の正面近くを通り、像の裏側の桟橋に着きます。
自由の女神がだんだん近づいてくると、みんな立ち上がってざわざわし始めました。
おまけはここまでです。
前回ソーホーの帰りに予約もなしで行った、ブルックリンの’ River Cafe ‘(リバー・カフェ)に、また行くことにしました。
人気のあるレストランで、要予約で、ドレスコード(服装規定)もあります。
(雰囲気的には、それ程堅苦しいっていう感じではないんですが、ジーンズは避けた方がいいと思います。)
夕方に着いてゆっくり食事をしていると、マンハッタンに徐々に明かりがつき始め、次第にすばらしい夜景が川(イーストリバー)の向こう側に広がります。
(なぜだかよくわかんないんですが、私、最近、妙に夜景が好きなんですよね。)
さて、いよいよ今回、一番楽しみにしていたミュージカル ’ The PHANTOM of the OPERA’ (オペラ座の怪人)です。
劇場の中は思っていたより狭く、ステージと席との距離が近いので、出演者の顔の表情や動きが近くに感じられ、「すごい〜」とか{きれい〜」などど感激している間に、3時間半という時間もあっという間に過ぎてしまいました.。.
(途中の短い休憩では、パンフレットやグッズを買ったり、バー(カウンター)でアルコールやソフトドリンクを飲むこともできます。ただし、ふたのついていない容器は場内には持ち込めませんので、要注意です。)
ホテルまで、歩いて帰る間ずっと余韻に浸っていました。(はあ〜、満足。)
その昔、初めてニューヨークに行った時は、危険だから中には行かないようにと言われていて、メトロポリタン美術館に行く時に、タクシーの運転手さんが気を利かせて中を通り抜けてくれたのを覚えています。
2度目に行った時は、あまりにも広いので、入口辺りを少し歩いただけで、あきらめました。
(歩いてまわると、3時間かかるそうです。)
今回は中をまわるのに、例の人力車、Paddy Cabに乗りました。
お兄さんが走りながらガイドしてくれて、1周して25ドルでした。
(二人は兄弟で、左側のお兄さんの方にガイドしてもらいました。)
今は日中は観光客や地元の人でいっぱいで、ジョギングをしている人や、スポーツを楽しんでいる人や、芝生の上でくつろいでいる親子や・・・のんびりしていました。
(夜は今も危険だって、お兄さんが言っていました。)
映画の撮影にもよく使われていて、見覚えのある景色もありました。
「オータム・イン・ニューヨーク」では、リチャード・ギアがこの白い橋を渡っていましたあ。
セントラル・パークの南西の入口「コロンバス・サークル」の向かい側には「タイム・ワーナー・センター」があり、中ではショッピングをしたり、本屋さんの一角にあるカフェで、雑誌を見ながら少しのんびりもできますが、ディズニー映画「魔法にかけられて」に出てきた場所もあって、「あ、ここ映画の中で歩いてた。」って思うと、楽しくなります。
地下にある大きなスーパーをぐるっとまわってみるのもいいです。
またここから、ブランドのお店が並ぶ5番街もすぐです。
セントラル・パークの中の「ストロベリー・フィールズ」も行ってみたいと思っていた場所でした。
ジョン・レノンの死後、オノ・ヨーコさんがデザインしたモザイクがそこにはあり、花を供えている人や、ベンチに座ってじっと眺めている人もいました。
すぐ横を見上げると、オノ・ヨーコさんが今も住んでいる「ダコタ・アパート」が見えます。
「セントラル・パークはニューヨークの ‘heart’ なんだよ」って、Paddy Cabのお兄さんが胸を叩きながら言っていたのが頭に残っています。
ミュージカルやオペラを観たり・・・
ジャズクラブでいい音楽に浸ったり・・・
美術館ですばらしい絵画に触れたり・・・
おいしいものを食べたり・・・
もちろんショッピングにまわったり・・・
ニューヨークにはエキサイティングな楽しみがぎゅっと詰まってます。
ニューヨークの持ってるエネルギーはすごいんです。
楽しいけど、そのペースに乗り遅れると、置いてけぼりです。
次はもう少しのんびりとしたところに行こうかな・・・
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英語圏ではない国を訪れるのは今回が初めてでした。
雄大な自然や世界遺産の美しい町を気持ちのいい気候の中で満喫しました。
そして英語を話せる人が多いことにもとても驚きました。
名古屋からドイツのFrankfult(フランクフルト)まで、約11時間。(夏時間で時差は7時間。日本の方が早いです。)
ここから列車に乗ります。
列車の1等のチケットは日本で購入していき、使い始める前に、DB(ドイツ鉄道)の窓口で開始印を押してもらいます。
使用開始印を押してもらったら、空港長距離列車に乗るためにFrankfult(フランクフルト)中央駅へ。
中央駅は巨大なドームで、明るくてきれいです。
駅構内でおいしそうなサンドイッチを見つけたので、早速お店の人おすすめの野菜がいっぱい詰まったロール状のものを買いました。(薄味で、ほんのりカレーっぽい香りがして、おいしかったです。)
お水も買いました。必ず no gas と言わないと炭酸入りのものがきてしまいます。(何度か炭酸入りのものも飲んでみました。去年ボストンで友達になったノルウェーの男の子は、絶対に炭酸入りのお水しか飲まなくて、「おいしいでしょ?」と言っていましたが、正直私はビミョウです。)
Frankfult(フランクフルト)から最初の目的地、Rothenburg(ローテンブルク)までは、まずICE特急です。
1等のシートはコンパートメントで、6人の席が1つの部屋になっています。(よく映画に出てくる例のです。)
Würzburg (ヴュルツブルク)でローカル線に乗り換えました。ここも観光地の1つなので、駅前に出て町の様子を見てみました。
ヨーロッパの鉄道は改札口がないので、自由に外に出たり、またプラットホームに戻ったり、できるのです。(何か得した気分です。)
乗ってると、車掌さんが検札にまわって来るので、絶対に不正はできません
ここで、駅のトイレに行きましたが、有料でした。(50セント。)
列車に乗る時は、ボタンを押すとドアが開きます。
自転車もそのまま乗れます。
最初の宿泊地、Rothenburg(ローテンブルク)は、旧市街が城壁で囲まれていて、古い町並みがそのまま保存されています。
城壁に上って町を見下ろすと、厳しく保存されてきた中世の町そのものが、目の下に広がります。
観光客を乗せて町を回る馬車がちょうど出勤?してきました。
泊まったホテルのすぐ前に馬車の乗り場がありました。
町の中をぶらぶらしていたら、ウィンドーいっぱいに飾られた珍しいお菓子を見つけました。
Schneeball(シュネ-バル)「雪のボール」という名前のRothenburg名物で、ドーナツというより、ビスケットに近いです。
ここで、旅行に出る前に、教室に来ている大学生の子に教えてもらったドイツ語を使ってみました。
気軽に「さよなら」と言う時に使うTshüs!(チュ-ス)です。
若いお店の店員さんは、私を見て、丁寧にAuf Wiedersehen(アウフ・ヴィーダーゼーエン/さようなら)と言ってくれました。
この後も何回か使ってみましたが、相手の年齢、使う人の年齢、あるいは場所によって使いわけているように思われました。
Rothenburg からは、ロマンチック街道をバスで行きました。
ロマンチック街道の出発点は、Würzburg(ヴュルツブルク)です。
今年はこのバスは、5月2日~10月20日の間走っています。
今回は日本から、インターネットでチケットを予約していきましたが、混んでいない時期なら予約なしでも大丈夫です。
途中、Dinkelsbühl(ディンケルスビュール)・Nördlingen(ネルトリンゲン)・Augsburg(アウクスブルク)・・・といくつかかわいい町で休憩しました。
Dinkelsbühl(ディンケルスビュール)では、昼食に、パンにソーセージをはさんだだけのシンプルなサンドイッチを食べましたが、ソーセージはもちろん、パンもおいしかったです。
ドイツでは、このパンがよく出てきましたが、外側が少しかたくて中がやわらかくて、歯ごたえがあっておいしかったです。
Rothenburg(ローテンブルク)を午前11時15分に出て、ロマンチック街道の終点、Füssen(フュッセン)の1つ前の駅、Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)に着いたのは、午後6時40分でした。
ホテルの部屋からは、山の上の方に、Schlos Neuschwanstein(ノイシュヴァンシュタイン城)が見えました。
夜になると、ライトアップされます。
ここには2つのお城、Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)城と、 Neuschwanstein(ノイシュヴァンシュタイン)城があります。
ここで泊まったこのホテルのすぐ前に、Hohenschwangau城がありました。
Neuschwanstein(ノイシュヴァンシュタイン)城までは、坂道を40分くらいかけて歩いて行くか、馬車でも行けます。
週末は観光客の数もどっと増えます。
お城があるところまで上ると、お城の全体がキレイに見えるマリエン橋からの絶景ポイントがあります。
「美しい王」といわれ、ワーグナーに心酔し、最後は「狂王」として捕らえられてしまった、ルートヴィヒ2世の夢の城、Neuschwanstein城は、何年か前までは純白のお城だったのですが、今は少しクリームがかった色に塗りかえられていました。
白亜のお城を知っている人は少しガッカリしてしまうようです。
(でも、夢のお城 って感じですよね。)
ホテルから歩いて行けるところに、ケーブルカーがあって,上っていく途中に2つのお城が同時に見えるポイントがある、と聞き、行ってみることにしました。
犬の散歩をさせていた中年の男の人に、ケーブルカーへの道を聞くと、川沿いの散歩道をすすめてくれました。(流暢な英語でした。)
自然の中を歩いて、30分くらいでケーブルカーの乗り場に着きました。
ケーブルカーは、往復で、16ユーロでした。
ケーブルカー乗り場の麓のあたりは、広~くて、空気が澄んでいて、360度見回して、伸びをして、おいしい空気を思いっきり吸い込みました。
頂上まで行くと、フツーに雪が残っていましたが、日差しが強いので薄着でも寒くはありませんでした。
(雪のない麓の方が、寒かったです。)
下を見ると、吸い込まれそうに美しい景色が広がっていて、そこをすぐ目の前からパラグライダーが飛んでいく光景は,ほんとうに絵になります。
この湖は、Forggensee(フォルッゲン湖)です。
手前に見える雪のところから、飛んでいきました。
Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)からFüssen(フュッセン)までは歩いてもいけます。
緑の広がる広大な景色の中を、のんびりのんびり歩いて行くといいです。
空の青さと、どこまでも広がっている緑のバランスの美しさに、時々立ち止まって「キレイ~」と、声に出して言ってみたくなります。
すれ違う観光客同志、気がつくと自然に「モルゲン」とか「モーニング」と挨拶を交わしています。
たんぽぽや菜の花畑が、列車からもよく見られました。
HohenschwangauからFüssenまでは、歩いて40分くらいです。
Lech(レヒ)川が見えてきたら、すぐそこです。
Füssenもかわいい町で、Hohenschwangauとは違う若い活気があります。
ショップやカフェやレストランもいっぱいあるので、歩いているだけでも十分楽しめます。
(ただ、日曜日はほとんどのお店が閉まっているので、要注意。)
Füssenからの帰りはバスです。
(1.7ユーロでした。)
73か78のバスに乗れば、Hohenschwangau まで、10分くらいです。
停留所はHaltestelle(ハルテシュテル)といい、Hのマークがついています。
お城の景色とお別れしたら、次はオーストリアのSalzburg(ザルツブルク)に向かいます。HohenschwangauからバスでFüssenまで出て、列車です。
München(ミュンヘン)行きの列車が時間になっても来なかったので、プラットホームにいた70代くらいの男の人に、持っていた時刻表を見せて聞いてみると、「ほら、ここを見てごらん。今のこの時期はこれは来なくて、次に来るのはこれだよ。」と、丁寧に英語で教えてくれました。
(この男性の英語も、とても流暢でした。旅行中、いろいろなところで、様々な年代の人と話しましたが、90何%の人は英語で応対してくれました。)
とにかく、München(ミュンヘン)行きの列車に無事乗って、一安心です。
またまた1等のコンパートメントから、窓を開けて、流れていく自然の美しい景色をカメラに収めます。
高い山はなく、美しい平原が続いていました。
München(ミュンヘン)で列車を乗り換えて、EC特急でSalzburg(ザルツブルク)に向かいます。
乗り始めがドイツで、降りる時がオーストリアでも、途中でパスポートも必要ないし、日本で県をまたぐ感じです。
プラットホームにDB Service Mobilと書かれた車が走っていて、何だろうと思って見ていたら、歩くのがたいへんそうなお年寄りに声をかけて、乗せていました。
Salzburg(ザルツブルク)には、午後早めの時間に着いたので、とりあえずホテルで一休みです。
ホテルの部屋からは、遠くにHohensalzburg(ホーエンザルツブルク)城塞が見えました。
Salzburgは、Salzach(ザルツァッハ川)をはさんで、新市街と旧市街に分かれています。
新市街にはMirabell(ミラベル)宮殿と庭園があり、その庭園の美しさに多くの人が集まってきます。
庭園の先の方に、Hohensalzburg城塞が見えます。
庭園から旧市街へは、Makart(マカルト)橋を越えて行くとすぐです。
中央駅から行く時は、Salzach川沿いの散歩道を、遠くにHohensalzburg城塞を見ながら、のんびり散歩を楽しむのもいいです。
途中でかわいいお店を見つけたら、ぜひ入ってみましょう。
Hohensalzburg城塞の下のレジデンツ広場では、男の人が真剣な表情で屋外チェスをしていました。
お城までは、ケーブルカーで簡単に行けます。
歩いても行けますが、かなりの急勾配のようです。
いい気候のせいか、先生に引率された、社会見学風の地元の小学生や高校生くらいの子達のグループをよく見かけました。
お城の上からは、Salzburgの町が見渡せます。
旧市街の中は狭い通りの両側にショップやレストラン、カフェなどがぎっしりと並び、観光客であふれています。
軒先の鉄細工の看板も名物の1つです。
お店を覗きながら行くと、黄色のモーツアルトの生家が目の前に現れます。
モーツアルトはこの建物の4階で誕生しました。
ガイドブックにも載っている有名なカフェには、2回も行ってしまいました。
1度目に行った時は、隣のテーブルの人がおいしそうなアイスを食べていたので、「あれと同じのください」とお願いしました。
(モカのアイスで、すっごくおいしかった)
2度目に行った時は、お店の人におすすめのものを聞いて、フルーツがいっぱいのアイスにしました。(アイスばっかり)
ここは自家製のケーキが有名で、すべて種類の違うケーキをトレーにのせてテーブルを回ってきます。
オシャレですねえ。
(上の服は洗濯物ではありません)
広場がマーケットになっていて、野菜や果物、チーズ、花屋さんなどなどあって、にぎわっていました。
5月~6月が旬のホワイトアスパラが束で売られていて、日本では珍しい光景でした。
いろんな種類のチーズや、もちろんソーセージもあちこちで売られていました。
Salzburg 3日めは、ホテルにスーツケースを預けて、世界遺産の町、オーストリアのHallstatt(ハルシュタット)へ1泊旅行に出かけました。
列車を乗り継ぎ、乗り継ぎ行きましたが、途中工事中の区間があり、乗客全員が大きな観光バスで3駅分(いや、もっとかなあ・・・)を移動し、また列車に戻るという珍しい体験もでき、楽しかったです。
やっと着いたHallstattの鉄道の駅は、小さな駅で、下に少し坂道を下りると、湖の向こう側のHallstattの町に行くボートの乗り場に出ます。
(ボートは2ユーロでした。)
ボートがHallstattの町に近づくにつれて、言葉にはできない美しい光景が目の前に広がり始め、シャッターを押すのも忘れて、ぼ~っと見とれていました。
世界で一番美しい「湖岸の町」といわれるのも納得できます。
Hallstattで泊まったホテルは、ここで一番大きなホテルでした(といっても、部屋数は多くありません)が、造りは旧式で床や階段は木造でした。
鍵も房つきの重々しいものでした。
バルコニーつきの湖に面した部屋を予約したので、部屋から湖や遠くの景色も見ることができました。
町の中はかわいいし、どこもきれいなので、歩いていても気持ちがいいです。
町の中をあちこち歩き回ってから、気持ちのいい屋外のテーブルで食事をしました。
(これ、名前がわかんないんですが、クレープ状のものの中に、野菜がいっぱい詰まっていて、おいしかったです)
そうそう、きちんとしたレストランは別ですが、カフェなどでは、注文したものが来たときに、ウェイターやウェイトレスがエプロンのポケットから財布を出して、その場で集金します。(よく分かんないですが、それが決まって黒の皮の長財布なんですよねえ。見た限りでは・・・)
「塩の城」という意味のSalzburgと,世界最古の塩坑をもつHallstattは岩塩が有名で、様々なハーブ入りのお塩をおみやげとしても売っています。
お料理の好きな人に持って帰ったら、喜んでもらえそうです。(ただ、重い・・・)
お塩がたくさん取れるからかどうかはわかりませんが、塩辛い、と思う料理も多かったです。
これはお肉の上にたまねぎがのっているんですが、お肉が一口めから塩辛かったんです。(ジャガイモはおいしかったです。)
散歩をしていて、おもしろい標識を見つけました。
何なんでしょう?
左側にお店があって、通りをはさんで右側の湖に面したところにテーブルが出ていたので、ドライバーに、「ウェイターが通るから、気をつけて!」と、注意しているのかもしれません。
町と湖と空と山のコントラストの美しさは、言葉でも写真でも伝えきれません。
レセプションもホテルの従業員の女の人たちもステキだったので、写真をお願いしました。
(仕事ぶりとかが、カッコいいんですよお。)
「写真絶対に送ってね」と言われたので、早速送りました。
次の日にすぐメールが来て、何枚かHallstattの写真も添付されていました。
「写真、ありがとう! ホテルの pin wall に貼っておきます。」って、書いてありました。
(なんか・・・うれしいです・・・)
Hallstattをあとにする前に、ゆっくりと景色を楽しんで、その美しさを目に焼き付けました。
ボートに乗って、町が遠ざかっていく間、ずっと見とれていました。
Hallstattからの帰りは、また列車ーバスー列車と乗り継いで帰りました。
バスの中で、地元の小学生の女の子たちに「Hello」と声をかけられました。
「日本から来たの」って言うと、先生の耳元で何やら報告していました。
(どこに行っても子供は素直でかわいいです。)
Salzburgに戻り、近くのスーパーに出かけました。毎朝朝食に出てくる小ぶりのリンゴが気に入っていたので、いくつか買いました。
Salzburgから最後の宿泊地、Münchenまでは、またまた列車です。
ここからは、スイスのZürich(チューリッヒ)やハンガリーのBudapest(ブダペスト)やイタリアに行く列車などいろいろあって、改めて国がくっついていることを実感しました。
旅行に出る前に、スイスの友達から、「ドイツとオーストリアに来て、スイスには来ないの?」とメールをもらっていましたが、なるほど、ここからならすぐなんだって、納得できました。
SalzburgからMünchenまでは、1時間半くらいです。
Münchenで泊まったホテルは、駅にすぐくっついたところにあって、目の前に市電、市バス、地下鉄の乗り場もあって、すごく便利でした。
München中央駅から歩いて10分くらいで、人でにぎわうKarlsplatz(カールス広場)に出ます。
このKaristor(カールス門)からMarienplatz(マリエン広場)に向かって歩行者天国になっていて、人、人、人で、溢れかえっています。
通りには、テーブルが出ていて、みんな昼間から、もちろん(?)ビールです。
EISはアイスです。
ぶらぶらお店を覗きながら行くと、Marienplatz(マリエン広場)に着きます。
目の前に現れる、ネオゴシック様式の新市庁舎の姿に圧倒されます。
建物の前にテーブルがいっぱい出ているので、みんなと同じようにビールでも飲みながら、ぼ~っと時間を過ごすのもいいです。
こんな風に、お天気にも恵まれ、すばらしくいい旅行をしてきたのですが、最後の最後にドジをしてしまいました。
München(ミュンヘン)中央駅から空港までは、通常なら30分くらいで行けるはずで、ホテルで時刻表をもらって、乗り場も確認していました。
安心していたのがいけなかったのかもしれません。いつもなら、乗る前に必ず行き先を確かめるのに、その時に限って、ちょうど来た電車に乗ってしまったのです。
それでもまだ安心しきっていたので、「空港に着いたら免税店で買い物をして・・・」なんてのんびり考えていました。
えっ!? 何だか景色がヘン!!
どう見ても空港があるように思えない、と思って、プラットホームに降りて聞いてみると、「違う電車に乗っちゃったんだよ」と言われ、もう顔色サ~ッですよ。
この電車がまた戻るから、と言われ、何だか何分に発車するのか、聞くのも怖い感じがして、座席に座ってただ電車が出るのを待っていました。
やっと、動き出して、ホッとはしたのですが、果たしてそのまま乗ってれば空港に行くのか、どこかで乗り換えるのか、さすがに聞かないとまずいと思って、同じ車両に乗っていた20代の女の子に「空港に行くには、この電車に乗っていればいいですか?」と聞くと、路線図で丁寧に説明してくれました。
Münchenまで戻ったら、別の電車に乗り換えなければいけない、ということだったんですが、その女の子はMünchenに着くと、わざわざ近くに来て、「ついて来て」と言って、乗り換える電車まで連れて行ってくれたのです。
その時点で、もう予定のフライトの2時間前をきっていました。
私が「できるだけ早く行きたいんです」と言うと、「何時の飛行機?」と聞かれ「12時」と答えると、一瞬間があり、足を速め、荷物を持とうともしてくれました。
あの親切がなかったら、飛行機に間に合わなかったかもしれません。
名前も何も知らない人なので、お礼の言いようもありません。
ふと、高校生のテキストにあった文章を思い出しました。
“THe help came from a stranger and was to be repaid to a stranger.”
(その助けは見知らぬ人からもらったので、見知らぬ人に返すべきだ。)
私が親切にしてもらった分は、私が困っている人を見たら、手を貸してあげればいいんですよね。
あの時のことを思い出すたびにそう強く思います。
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ボストンを訪れるのは2度目でしたが、今回は勉強が目的だったので、観光の時間はあまりなく、その代わりに、今まで接する機会のなかったヨーロッパの国の人たちといい出会いをすることができました。
名古屋からデトロイトで飛行機を乗り換えアメリカの東海岸にある、ボストンまで約14時間。日本とは昼と夜が全く逆です。
ホームステイ先は、小さな女の子が3人いる家庭で、ホストマザーのAlice(アリス)は、明るくて、面倒見のいい、気さくなひとでした。
ボストンに着いたのが土曜日の夕方で、飛行機の中でずっと寝ていたのと、時差の関係で、着いた時まだ元気でした。
Aliceに近くのデパート”Macy’s”(メイシーズ)に連れていってもらい、そのあと映画にも行きました。
“Hairspray”という、1987年の映画が再び映画化された、歌とダンスがいっぱいの楽しい映画を見ました。
主人公の女の子の母親役の女の人が、ジョン・トラボルタだってわかったのは、最後にスクリーンに出てきた名前を見たときなので、それまではちょっと不気味な(?)メイクの顔に慣れるのに、少し時間がかかりました。
このあと少しして、日本でも公開されました。
映画は10ドル50セントでした。
Aliceの姪の高校生の子がニューヨークから遊びに来ていて、(ニューヨークはボストンの少し南ですね)次の日は、観光客でにぎわうQunicy Market(クインシー・マーケット)に連れていってもらいました。
どこから集まって来たんだろうと思うくらいたくさんの人が、建物の中にも外にもあふれていました。
Qunicy Marketを抜けて少し行くと、Water Front(ウォーター・フロント)と呼ばれる、ボストン港が見渡せるところに出ます。
すぐ隣にあるChristopher Columbus Park(クリストファー・コロンブス公園)で、腰を下ろすと、緑の中でホッと一息できます。
ボストンを訪れる人が多いのは、街じゅうを走っているBoston Duck Tours(ボストン・ダック・ツアーズ)という、船の形をした、水陸両用の車をしょっちゅう見かけることからもわかります。
大人気で、どこで見かけても、いつもたくさんの観光客が乗っていました。
ピンク・黄色・むらさき・黒・・・とカラフルな色に塗られた車が、普通の車に混じって走っているのを見ると、何だか楽しくなります。
スーパーマーケットの”Shaws”(ショーズ)の前に乗り場があるのを、あとで見かけました。
夜9時過ぎにまだ歩いているのを見たときは、「え~っまだ働いてるの?」って、ちょっとびっくりしました。
ボストンはロブスターが有名で、まちにはロブスターの看板を掲げたレストランをよく見かけます。
外で食べると、高いし、手や服も気にしなくてはいけないので、Aliceが夕食に1人1匹ずつロブスターを用意してくれました。食べ方を教えてもらいながら、専用のハサミで、バキバキ殻を割って、溶かしバターにつけて食べました。
しあわせ~。
ボストンは広いまちではないし、地下鉄(地上を走っているところもあるので、電車と呼んでいます)が縦横に便利に通っていて、ブルーライン、オレンジライン、レッドライン、グリーンライン、(空港に行く)シルバーラインと、路線が色分けされているので、観光客にもわかりやすくなっています。
改札口を入るときは、チケットを入れて、それと取って・・・って日本と同じですが、出るときはチケットを入れなくても、自然に扉が開きます。
7日間有効のCharlie Ticket(チャーリー・チケット)と呼ばれるパスを、15ドルで買っておけば、どこまで行っても、何線に乗り換えても、何回乗っても、それ以上の運賃はいりません。
いっぱい乗ってると、すごく得した気分になります。
時刻表がなく、しょっちゅう遅れるし、車内には新聞が散らばっていることを除けば、言うことなしです。
かんじんの学校が始まる前に歩きすぎて、足の裏に水ぶくれができて、つぶれて、さんざんの足で学校初日を迎えました。
オレンジラインの終点、Oak Grove(オーク・グローブ)から4つめの駅、Community College(コミュニティー・カレッジ)で降りて、徒歩10分くらいのところに学校はあり、家からは30分程でした。
どんな時間割りなのか、どんな人たちと勉強をするのか、全く知らずに来たのですが、オリエンテーションで会った人たちのほとんどがヨーロッパからの人で、イタリア、スペイン、ノルウェー、フィンランド、スイス・・・と今まで日本では話す機会のなかった国の人たちと顔をあわせて、それだけでもワクワクしました。
4人の先生に教えてもらいましたが、どの先生も明るくて、楽しくて、フレンドリーだったので、雰囲気は最高でした。
授業の合間の時間を利用して、学校の近くのショッピング・モールに行ってみました。
途中で突然現れた公園には緑がいっぱいあって、しばらく木陰に入って、深呼吸しました。
ショッピング・モールの通路に、さりげなくアクア・マッサージがあって、大活躍のようでした。
8月の終わりはちょうどセールの時期なので、70%、80%オフなんていうのも珍しくなく、店内は地元の人や観光客でにぎわっていました。
ボストンはもちろんあの松坂のいるBoston Red Soxでも有名です。
ちょうどこの日、Red Soxと松井のいるNew York Yankeesの試合がありました。
実際の試合のチケットを手に入れるのは、かなり難しいらしく、まちには、店内に大きなスクリーンがいくつもあるレストラン・バーがたくさんありました。
授業のあと、先生の引率でお勧めのレストランへみんなでくりだしました。
ヨーロッパの人にとっては、野球は人気のスポーツではないらしく、ルールの説明を先生から受けているほどでした。
時々野球を見て、食べて飲んでワイワイその雰囲気をみんな楽しんでいました。
お店の人に、「おすすめは何ですか?」と聞いたら、やはりハンバーガーにポテトでした。
じゃがいもは何個分?くらいの量があって、出されたものは、できるだけ食べる主義の私は、これだから、普段よりずっとたくさん歩いてるのに、痩せないんだわあ〜と反省しました。
次の日に、Aliceのところにホームステイしていた、別の学校の女の子とdowntownで待ち合わせをして、少しまちをブラブラすることにしました。
街角のおまわりさんに郵便局の場所を聞いて、教室のみんなに絵はがきも出せました。
郵便局の建物が立派すぎて、見過ごすところでした。
右側の筒状のものの取っ手を、手前に引いて、中に郵便物を入れます。
オレンジラインのDowntown Crossing(ダウンタウン・クロッシング)から、グリーンラインのCopley(コプレイ)まで行くと、Copley Place(コプレイ・プレイス)があります。
ブランド品の店やオシャレなショップが並び、連絡通路を通って行くと、52階建てのPrudential Center(プルーデンシャル・センター)へ行きます。
Prudentialの50階のスカイウォークからは、360度ボストンのまちを見渡すことができます。
Charles River(チャールズ・リバー)もBoston Harbor(ボストン・ハーバー)もすぐそこに見えます。
City Hall(シティー・ホール)の前の通りに、簡単なマーケットができていて、トマトやりんごから、手作りのパンやクッキーなどを売っていました。
同じ学校の女の子と、もちろんあのHarvard(ハーバード)大学にも行きました。HarvardはレッドラインのHarvardで降ります。
さすがに正門は重みがあって、その伝統を感じさせてくれます。
大学内を回るハーバードツアーの中でも、John Harvard(ジョン・ハーバード)像の前は、観光客に一番の人気スポットです。
その靴を触ると、幸運がおとずれる、なんてことも言われてるみたいです。
大学の生協The Coop(ザ・クープ)では、もちろん、Harvardの名前入りのおみやげを買いました。
一緒に行った女の子にたくさんの荷物を持ってもらい、ほんとに助かりました。
学校の最終日には、卒業生は、先生と生徒の前で、スピーチをすることになっていました。
短い期間にみんなと仲良くなって、年齢も国も性別も全く関係なく、前から知っていた友達のようになりました。
ノルウェーの人に、お別れに、ほっぺをくっつけて「Yuko、元気でね。気をつけて帰ってね」と言われた時は、ほっぺのぬくもりを通して、あったかいやさしい気持ちが、いっぱい伝わってきました。こういうあいさつもいいな、と思いました。
みんなに会えてほんとによかったです。
ありがとう。
そして、英語を続けててほんとによかった、って思っています。
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セントレアから成田(1時間ちょっと)、成田からシカゴ(11時間半)です。
1週間の “Marketing & Business Language” というコースを取るのが今回の目的です。
時差は14時間、シカゴの方が遅いです。
シカゴのO’hare(オヘア)空港に着いたのは午後3時くらいでした。
空港からタクシーでホームステイ先Pattyのところまで約30~40分かかりました。
タクシーに乗り込んだ瞬間「あ~、シカゴって危険な都市じゃないんだ」って思いました。
(ニューヨークのタクシーは運転席と後部座席の間にガッチリしたアクリル板?がありました)
シカゴの中心地ですが、閑静な通りでタクシーは止まりました。
ホストマザーのPattyについては、行くまで名前しかわからなかったので、会うまでドキドキでした。
ドアをノックして開けた瞬間そこに現れたPatty(左)の第一印象は「きれい~、感じいい~」でした。
お友達のToniも来てくれました。
リビングもダイニングもどこもステキで、細部にこだわりが感じられました。
そして何よりも感激だったのが、突然姿を見せたネコのベル(♀)です。
うちにもネコがいて、うちのミント(♂)と似てたんです。ホントビックリでした。
私のお部屋です。室温が24時間一定に設定されていて、快適な温度に保たれていました。(外は暑い時で27~8℃くらいでした)
家から歩いて2,3分のところにオシャレなレストランがぎゅっとかたまっていました。
この日の夕食は“Bistro Zinc” でキッシュとハンバーガーをシェアしました。
あとはワインとサラダです。
どのレストランも観光客と地元の人でいっぱいです。
ミシガン湖まで歩いて10分くらいで、どう見ても海にしか見えない大きさに圧倒されました。
これは遊泳禁止のマークです。
砂浜になっていて泳げる場所がありますが、ここから入って泳ぐ人がいるらしいんです。
(と聞いているそばから、カップルがもう暗くなりかけた湖に入ろうとしていました)
次の日曜日、Pattyのお友達のお孫さんVivianの誕生日パーティーがあって、私も連れて行ってくれることになりました。
Pattyの車(ホンダでした)で郊外まで行きます。
1時間くらいでPattyも3人の子育てをしていたというHomewoodという町に着きました。
その頃住んでいた家の前も通って、たまたま外で花の水やりをしていた昔なじみのお隣の人にサプライズで声をかけ、二人はしばらく昔話と近況報告で盛り上がっていました。
お誕生日プレゼントには、おもちゃにカードを添えて、それに日本からPattyへのおみやげに持って行った京都の金平糖も少し持って行きました。
裏庭には小さい子供連れの家族がすでに何組かいましたが、Vivianのおじいちゃん、おばあちゃんやご両親に挨拶をしている間にも次々と若い子供連れの家族がやって来ました。
子供たちは、おもちゃや滑り台で遊んだり、大人たちは近況を報告し合ったりして、おしゃべりに花を咲かせていました。初対面の私にもみんな温かくて、楽しい時間が過ごせました。
うちの教室のMichaelにシカゴに行ったら、絶対に食べた方がいいと言われていたものがあります。
「シカゴ・ディープ・ピザ」です。
Pattyに話したら、近くにおいしいお店があるというので、今日の夜はそのレストランに行くことにしました。
お店の入口でウェイトレスの女の子に携帯の番号を告げます。
テーブルが空いて用意ができると、携帯に連絡が来るのです。(おもしろいシステムですね)
待っている間、バーカウンターでワインを飲んでおしゃべりです。
スキレットに入って出て来たピザはすごいボリュームで最高においしかったです。
日本で食べているピザとは全く別物で、厚くて中にチーズがいっぱい入っていて、さずがの私も一切れが限界でした。
Pattyにバスの乗り場と降りる場所を教えてもらい、バスのカード(Ventra)も買って行きます。
(現金の場合は、2ドル25セントの小銭を用意して乗らないとおつりは出ません)
バスはミシガン湖と平行に走っている、マグニフィスント・マイル(最高の1マイル)という呼び名で親しまれているミシガン通りをまっすぐに行きます。
学校の近くのMonrou(モンロウ)駅まで15分か20分です。
降りる時はこのひもを下に引っぱります。
バス停にあったこの標識、何か変ですよね。
「赤信号 右折禁止」って、赤信号では、ふつうもともと行けないですよね。
ところが、アメリカでは通常は赤信号でも右折していいんです。
なので、右折してはいけないところでは、この標識があるんです。おもしろいですね。
電車の古い駅が近代的なビルの間にあります。
何の飾りっ気もないただの銀色です。(電車マニアには、そこがたまらなく魅力のようですが)
学校の住所はわかっていましたが、建物に名前がついているわけではなく、建っているのは全部高いビルばかり・・・ど、どこ? という時は、近くにいる人にすぐに聞きます。
と、住所を見て、122だから、とビルの入口を見て、もう少し行ったところだね、と教えてくれました。
そっかあ、よくよく見たら、それぞれのビルの入口に番号がついていました。
初日はオリエンテーションとレクチャーだけでした。
何か月もいる人がほとんどなので、ハウジングのことや病院、銀行・・・についてそれぞれ担当の人から細かい説明があり、お勧めの観光スポットについても楽しくお話ししてくれました。
この日が初日だという生徒は30人か40人くらいいましたが、日本人は私以外にはあと一人だったと思います。
学校は最高のロケイションで、目の前に、The Art Institute of Chicago(シカゴ美術館)とMillennium Park(ミレニアム・パーク)があり、観光客でいつも賑わっています。
オシャレなレストランもたくさんあります。
この日のランチは先生に勧めてもらったVapinoというイタリアン・レストランに行きました。
このレストランではたくさんの種類の麺の中から好きな麺を選べます。
私は平麺でバジルのパスタにしました。
この部屋で午後レクチャーがありました。
食物についてのレクチャーはかなり専門的なもので、おもしろく勉強できました。
途中で3人ずつのグループになって、それぞれの国の食物事情(輸入のものについてとか、オーガニックのものについてとか、20年前の食物との比較とか・・・)についての話し合いになりました。
私はフランス人のビジネスマンの男の人とブラジル人の若くてきれいな女の子とグループになりましたが、フランス人の男の人は英語もよくしゃべるし、知識も豊富でびっくりしました。
ブラジルの人と話したのは初めてでしたが、ほんとに整った顔立ちの美人でした。
今まで話す機会のなかった国の人と話をすると、遠かった国が近い存在になって興味も持てるようになりますね。
この日は早めに終わったので、学校から十数分のところにある、シカゴで最も高く、アメリカで2番目に高い超高層ビル(110階)Willis Tower(ウィリス・タワー)に行ってみました。
着いたのは3時くらいでしたが、チケットを買う人の長蛇の列ができていました。
( どの時間帯に行っても長い列ができているらしいです)
そういう時はfast passを買って待たずに入ります。
別のエレベーターで2回乗り換えて、103階の展望フロアーへ。
360度シカゴのまちが見えます。
私の手は壁についています。
(私、高所恐怖症じゃなかったみたいです)
この日の夜もPattyと近くのレストランへ。平日でもどこもいっぱいです。
入ったクラスはかなり難しくて、最初びっくりしましたが、10人ちょっとのクラスは、フランス、北欧、アラブ、中国、ブラジル・・・と世界中から集まって来ていて、みんなフレンドリーで、英語も普通に話せて、知識も豊富で、自分の意見もしっかり発言していました。
先生のOscarは明るくて気さくで、生徒との距離が近い先生だったので、みんなから慕われていました。
授業中に私にも「Yuko, Talor Swift 好き?」とか(この週の土曜日にシカゴでコンサートが予定されてので)、「東京と京都に行ったことがあるけど、どこから来たの?」とか「New Yorkに行ったことある? 好き?」とかいろいろ聞いてくれたので、他の人たちも「何をしてるの?」とか「いつまでいるの?」って聞いてくれて、会話を始めるきっかけになりました。
学校の帰りにシカゴ美術館に寄ってみます。ここで絶対に見たい絵がありました。
昔、教科書で見たときに気に入っていた絵で、まさかここで本物を目にできるとは思ってもいませんでした。
スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」です。
やはり人気で、一番目立つところに飾ってあり、一段と人を集めていました。
授業の一環として来ているのか、絵の説明を聞いている学生のグループも見かけました。
夜、お友達のToniも一緒に3人でJazz Club “Andy’s”に行きました。
PattyもToniも地元にいながらJazz Clubに行ったことがなくて、いい機会だって喜んでくれました。
カバーチャージは10ドルでした。(出演するミュージシャンによって多少変わるみたいです)
広い店内もいつの間にか満席になっていました。
3つとも味が違っていて、大きさもアメリカにしては珍しくかわいくてgoodです。
次の日は少し気合いを入れて、早めに学校に行って授業の準備をしました。
クラスのメンバーは授業によって多少メンバーが入れ替わって、おかげでいろいろな国の人に会えて、交流できました。
この日、私の隣にサウジアラビアの女の子が座り、授業の途中で話しかけてきました。
「私、日本のマンガやドラマや映画が好きで、よく見てるの。山ピーや小栗旬、大好き」と言って、知っている日本語をいくつか言ってくれたので二人で授業中に大笑いしていました。
中国の女の子は私が持っていた電子辞書を「それ、何?」と言って、写メまで撮っていました。
(そう言えば、他のどの国の人も電子辞書を持っている人はいなくて、みんなiPhoneを辞書代わりにしていました)
別のマーケティングの授業では、ブラジル人のビジネスマンの人が話しかけてきて、おじいちゃんが日本人だって、教えてくれました。
なので、名字はNishiharaだって言って、それだけ漢字で書けるって言って、西原って書いて微笑んでいました。
みんな同じ目的で集まっているので、国の違いとか皮膚の色とか年齢・性別なんて全く関係なく、すぐに打ち解けてどのクラスもいい雰囲気で授業を受けることができました。
ルート66というのは、国道66号線で、イリノイ州のシカゴとカリファルニア州のサンタモニカを結んでいた国道です。
州間高速道路の発達で1985年に廃線になってしまいました。
この道路にちなんだ「ルート66」という曲も映画もありました。
この道をたどって多くの人が旅をしました。
シカゴと言えば、最近日本にも入ってきて、名古屋でも東京でも行列ができているというポップコーンがありますよね。garrett(ガレット)です。
学校の帰りに「そう言えば、どこにあるんだろう」とボーっと考えつつバス停で立っていると、何となくどこからともなくポップコーンのにおいがしたような気がして、あたりをキョロキョロ見回してみると、何とすぐそこにそのお店garrettがあったのです。
「え~、ここに」と思って、すぐ中に入ってみると、かなりの人が列になっていました。が、もちろん並んで買いました。
一番人気は、キャラメルのポップコーンとチーズのポップコーンがミックスで入っているgarrett mix(日本ではシカゴミックスと呼んでるみたい)です。
ポップコーンを買うのに何時間も並んで買うなんて、と思っていましたが、これがすっごく美味しかったんです。特にできたては最高です。
シカゴの建築をフェリーで見て回るシカゴ建築財団によるリバークルーズです。
シカゴは街全体が建築美術館と言われるくらい美しい建物がたくさんあります。
ちょうどお天気も曇りだったので(晴れてたら暑いし、日焼け対策が大変です)、学校の帰りにPattyに教えてもらっていたフェリー乗り場あたりでバスを途中下車してクルーズに参加しました。
ボランティアのガイドのおじさんがしてくれる建物の説明を聞きながら、シカゴ川からミシガン湖にも出て、シカゴの街全体を見ることもできました。
いろいろなクルーズがあるみたいですが、私の参加したクルーズは90分でした。
ヨットに乗っている人たちもいました。
夜もあります。
「シカゴはミシガン湖から吹いてくる風が強くて、windy cityと呼ばれていますが、実は単に風が強い市というだけでなく、政治家がウルサイところからも来ているんです」とガイドのおじさんが話していました。
2016年の大統領選に出馬したヒラリー・クリントンもシカゴ出身ですね。
夜は家にあった4~5種類のチーズとワイン、サラダと何種類かのパンで、音楽を聞きながらPattyとおしゃべりをしてゆったりと過ごしました。
こういうのもなかなかいいです。
(ただ、ブロッコリーを生で食べたのは初めてでした。。。まあ、大丈夫です)
学校が抜群のロケイションだったので、学校の帰りに美術館の隣のミレニアム・パークにも何度も寄っていました。
ここは世界でも有数の美しい芸術が施された公園だと言われていて、おもしろいオブジェがあちこちにあります。
一番人気はこれです。銀色の卵みたいな形の、ビーンの愛称で親しまれているCloud Gate(クラウド・ゲート)です。
長方形の巨大なタワーCrown Fountain(クラウン・ファウンテン)は水が流れていて、暑い日は子供たちの絶好の遊び場です。
Jay Pritzker Pavilion & Great Lawn(ジェイ・プリツカ―・パビリオン& グレートローン)は巨大な野外のコンサートホールです。
街中をセグウェイで回っている、セグウェイツアーの人たちも見かけました。
おまわりさんもセグウェイです。
レンタサイクルもあちこちにあります。
午後2時か3時頃にはスクールバスにもよくあいました。
咲いている花を見ると、この時期(7月中旬)は日本と気温が同じくらいなのがわかりますが(行っていた時は、最高で気温が27~28℃でした)、シカゴはお天気が変わりやすく晴れてたかなと思うと、突然カミナリが鳴ったりもしていました。
滞在中に一日だけ急に18℃くらいに気温が下がった日がありました。
学校の先生は「シカゴだから」なんて笑っていましたが、いつものこと、みたいですね。
毎日昼も夜も充実していて、時間が有効に使えたので、何倍も楽しめました。
学校でも、ホームステイ先に帰ってからも、たくさんの人と会えたし、話せたし、いろんな国の英語が聞けたし、美味しいものもいっぱい食べました。
そんな話もしながら、夜はPattyがデリバリーを頼んでくれました。
クラブ・ケーキとスイートチリ・フライド・カラマリです。(カラマリってイカなんです)
そう言えば、ずっとずっと昔、クラブ・ケーキが気になっていて、でも食べる機会がなくて、ずっと忘れていました。
だから、えっ?ここで?って感じで突然の出現に大感激でした。
ホット・ピンク・マヨネーズをかけていただきます。
カニがたっぷり入っていて、想像以上に美味しかったです。(嬉しかったあ~)
あっという間に1週間が過ぎ、最後の授業でOscarから修了証をもらいました。
1週間とは思えないくらい内容が濃くて、クラスのみんなとの距離も近くなり、メールアドレスを交換して、記念撮影もして日本で会おうネ、と約束してさよならをしました。
学校が終わったあとはPattyの家を出てホテルに2日間滞在することにしていました。
その朝はPattyの友達3人と私の4人で、近くのパンケーキ屋さんに行って朝食をとりました。
Pattyは2年前に家の内装をすべて変え、Toniは最近終えたところで(Toniのお家の中もアーティスティックですごくステキでした)、そしてもう一人のお友達は今改装中で、3人ともプロの人にコーディネートを頼んだらしく、ひとしきりその話をすると、あとはまあガールズトークですね。
驚いたことに、私を含め4人ともヨガをしていました。
スーツケースがいっぱいになってしまったので、もう着ない服を、Pattyに用意してもらったダンボールに詰めて、郵便局から送ることにしました。
ホテルまでPattyが送ってくれることになり、途中で郵便局に寄って荷物を送りました。
(60ドルちょっとくらいで、1週間もしないうちに日本に届きました)
いよいよ、Pattyともお別れです。
毎日学校に行っている時以外はずっと一緒にいたにもかかわらず、今回感傷的にならなかったのは、「次は京都で会おうネ」って約束がしてあったからです。
Pattyがホテルの前でハグをしてくれて、とりあえず一旦お別れです。
(日本に帰ってから、もう何度もメールのやりとりをしています)
ホテルはPattyの家と学校の中間くらいのところにあって、毎日見慣れた景色がすぐそこにありました。
部屋からはシカゴ川とミシガン湖が見えます。
ちょうどその週の日曜日にシカゴ・ハーフ・マラソンがあって、たくさんの人が参加していました。
テレビのニュースキャスターが朝6時半に外に出て、「この時間でももう暑いです」と話していました。
マラソンが終わった頃、外に行ってみると、首からメダルをぶら下げた人たちが、暑そうな表情で帰っていくところでした。
(この前日にTalor Swiftのコンサートがありました。テレビで超大盛り上がりの様子が報道されていました。行きたかった~)
ミシガン湖の方へ歩いて行くと、リムジンが湖を見下ろす道路のつきあたりに止まっていました。
黒のリムジンは見たことがありますが、白いリムジンは初めてだったので、もちろん1枚。(きっと、中から見られていました)
学校が終わってから2日滞在しようと思ったのは、その2日間で観光しようと思っていたからです。
でも、行きたいところ、見たいもの、食べたいもの、すべてPattyのおかげでホームステイ中にできてしまいました。
こんなに短い間に学校でも家でもこれほどたくさんの人たちと交流ができるとは思ってもいませんでした。
学校では世界中の人たちとお話ができて、いろんな英語が聞けて、いかに世界の人たちが英語を自分のものにし、自分たちの英語で堂々と自分の意見を言えるのかを知り、自分の意見がなかなか発言できない日本人について見なおすことができました。
受験勉強のためだけの英語を続けている限り、日本人はどんどん世界から取り残されてしまいそうです。
それを実感できた私は、せめてうちの教室に来てくれているみんなには、世界に出ても通用する英語を身につけてもらえるよう、私が方向を見誤らないようにしないといけないな、と強く思いました。
そして「英語」という手段のおかげで、たくさんの人たちと交流ができて、貴重な体験もし、世界が更に近くなったことに今回もまた感謝しています。
ありがとう・・・
帰る朝、カーテンを開けたら、ちょうどミシガン湖から太陽が昇ってきました。
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これまで、チャンスがなく、イギリス訪れるのは今回が初めてでした。
8日間という短い期間にもかかわらず、欲張って、エジンバラ、湖水地方、コッツウォルズ、オックスフォード、ロンドンとまわって美しい景色とすばらしい人たちに出会いました。
日本を発ちフランスで飛行機を乗り換え、エジンバラからイギリスに入った日本人は、この時私達2人だけでした。そして、こともあろうに、私達のスーツケースだけ届いていなかったのです!
係りの2人の女の人に案内されて、オフィスに向かう間、先に行く女の人の後ろを、不安な気持ちの私をよそに、「去年日本に行ってすごく楽しかったです・・・」と嬉しそうに話す、もう一人の女の人に、話を合わせながらついて行きました。
(結局、荷物は2日後に届きました。ヤレヤレ。とんだ出だしで大丈夫かしら。)
とにかく体は無事に着いたのだから、楽しまなきゃということで、とりあえず必要な物だけ買って、まちをブラブラしました。
どの建物も古く威厳があって、その美しさに圧倒されました。
イギリスに来たら絶対に食べたい、と思っていたのが、この「フィッシュ・アンド・チップス」でした。
おいしいという人もいれば、最悪という人もいたので興味津々でした。
さて、その味は・・・・
おいしかったんです!
量が多かったのに残さずにきれいに食べたので、お皿を片付けに来たお店の人も思わず、「Oh!」と感激していました。(ほんとはその食欲にびっくりしたのかも。)
このあと調子に乗って、別の所でも食べましたが、それはひどくて(つまり油っこくて)三分の一くらいしか食べられませんでした。
エジンバラでレンタカーを借りて、荷物がないまま、湖水地方にやって来ました。
こう言うと、快適なドライブを楽しんだかのような印象を受けるかもしれませんが、ナビのついていない車で、持っていた地図はサービスエリアで買った、おおざっぱなものだったので、これ以上言わなくても、想像できると思います。
(何度も迷い、到着するのに、5、6時間はかかったと思います。)
でも、どこで誰に道を聞いても、みんな親切に教えてくれました。
(ご恩は一生忘れません。)
ここでは、こじんまりしたかわいいホテルに泊まりました。
とりあえず、その日はまあ着いてよかったということで、湖を眺めながら、のんびりディナーを楽しみました。
そして次の日、なぜか私たちは湖の反対側の、しかも、さらに奥の方にあるNEAR SAWREY村(ニア・ソーリー村)というピーターラビットの里に、なんと歩いていくことにしたのです。
途中この羊を見ている頃はまだ余裕があったので、「わあー、のどかだわァ」とか言いながら、羊の鳴き声をまねしたりしていましたがそれはとんでもないことでした。
こんな景色の中を、何時間ものんびり歩いている物好きは他には誰もいるわけもなく、ただ黙々と歩いて、はるか遠くに村が見えてきた時は感激~!という感情もなく、頭はなんだかうつろ状態でした。
なんせ、普段運動不足の私が4時間くらい歩いたんですから。
それでも有名人もよく来るらしい、きっと名の知れたパブで、ジュースを飲みながら、ゆっくり景色を見て、そのゆったりした村の雰囲気に浸っているうちに、やっと、ああ来てよかった、という気持ちになれました。
帰りは、地元の親切な人に、1人にはフェリーの乗り場まで送ってもらい、たまたま居合わせたもう1人の女の人には、泊まっていたホテルまで送ってもらったのでした。(本当にありがとうございました。)
夜は近くのにぎやかな地域に行って、夕食をとることにしました。
建物がどこもかわいくて「わ~、かわいい!」の連続でした。若い女の子に人気があるのも納得できます。
近くにあった郵便局から、教室のみんなに絵ハガキを出して、外に出ようとしたら、地元の男も人にさっとドアを開けてもらいました。
(さすがあ、紳士の国だわ~。)
裏道を入ると、大きなイタリアンレストランがあり、かなり混んでいましたので、ひょっとしたらおいしいのかも、ということで入ってみることにしました。
シェフおすすめのムール貝を注文しました。
クリームソースもおいしくて、お皿いっぱいにあった貝も、きれいに残さず食べました。
お店の人に、「これは日本語で何て言うんですか?」と聞かれ、「ムール貝」と答えたら、「難しいですね」と言っていました。
(blue mussels 「ブルー・マスルズ」という英語の方が難しい気がするけど。)
まあいろいろあったけど、スーツケースもやっと届き、次の目的地であり、今回一番行きたかった、コッツウォルズに向かうことにしました。
またまた何回か道に迷いながら走っていると、突然目の前にかわいいまちが出現しました。
夕方近くでもあったので、目に留まったパブレストランに入ることにしました。
かなり広いお店で、地下にもテーブルがありましたが、まだ混む時間ではなかったので、中はガランとしていて、2、3人の人がカウンターでビールを飲んでいました。
私達が奥の方の席に着くと、しばらくして、常連だという、オーナーの友達の男の人が隣の席に来たので、何となく話を始めました。
まあ、せっかくだから、写真を撮ります、ということでこういう記念撮影になりました。
あとでここがPershore(パーショアー)という所だとわかりました。冬は雪がたまに降る程度で、夏も気温が23度くらいで過ごしやすいと話してくれました。
コッツウォルズへの地図を書いてもらい、写真を送る約束をして店をあとにしました。
イギリスではどうしてもB&B(ベッド&ブレックファースト)に泊まりたくて、コッツウォルズで2泊しました。
私達がコッツウォルズで泊まったところは、丘の上にあって、景色のすばらしいところでした。
でも、周りに目立つような目印もなく、またまた、途中で道に迷ってしまいました。
今度は、たまたま散歩をしていた、ご夫婦に助けてもらいました。
結局B&Bの人が、途中まで車で迎えに来てくれることになり、そのご夫婦が家まで車を取りに行って、そこまで先導してくれることになったのです。
(本当に感謝することばかりです。ありがとうございました。)
私たちが滞在したB&Bは、部屋が3つだけのこじんまりした所でしたが、この時は他に宿泊客がいなくて、「どのお部屋を使ってもいいですよ」と言って、全部のお部屋を見せてくれました。
どこもかわいくて、リビングも自由に使わせてもらえて、本当に心地よく過ごせました。
ホテルと違って、イギリスの家庭の雰囲気も感じることができて、「プチ・ホームステイ」って、ところでした。
経営しているのは3人の娘さん(10歳、5歳、3歳)を持つお母さんで、ご主人は隣で、羊を飼っていました。
2日間私達だけだったので経営者のジョー(ほんとはジョアンナ)といろんな話をすることもできました。
コッツウォルズに来ると、みんなが、「わあ、映画の世界みたいって言うけど、そりゃそうよね、”ブリジット・ジョーンズの日記”を撮影した所なんだから」とおもしろそうに話していました。
シリアル(いろんな珍しい種類のものがありました)にパン、卵にソーセージにハム、トマト(どこで出てくるトマトも焼いてありました。)に、この黒く見えているのは、マッシュルームの一種で、おいしかったです。
あとヨーグルトとフルーツと、コーヒーか紅茶で、ちょっと食べすぎですよね。
ジョーに、コッツウォルズのおすすめ観光スポットを教えてもらい、2日目はそこを車でまわりました。(「迷ったら、私が探しに行ってあげるから。」と言われて、かなり楽な気持ちでドライブが楽しめました。
まずやって来たのは、Broadway(ブロードウェイ)で、コッツウォルズの村の中で最も有名で、観光客に人気のあるところだそうです。
道が広く、町並みがかわいくって、コッツウォルズはどこもそうですが、きれいで、歩いていても気持ちがいいところでした。
次にやって来たのは、Chipping Campden(チッピング・カムデン)というところです。
“chipping”というのは、”market”を意味する古い英語で、羊毛産業の拠点として栄えてきたところだそうです。
コッツウォルズの村はそれぞれ魅力的で、少しずつ雰囲気が違っていて、何日もかけて楽しみたいところです。
Chipping Campdenから、Moreton-in-Marsh(モートン・イン・マーシュ)を通り抜けて、次に、Stow-on-the-Wold(ストゥ・オン・ザ・ウォルド)に来ました。
ここは、8つの道路が集まる場所にあって、そのため、かつては商業の中心地になっていて、”sheep fair”が行われ、取引されていたそうです。
今はたくさんの観光客が訪れ、この日は、観光バスで来ている人達もいました。
アンティークのお店をのぞきながら、ブラブラして、お茶を飲みながら、少しのんびりできました。
次に来たのは、ジョーおすすめの場所で、ここはたぶんあまりガイドブックに載っていないと思いますが、 Slaughter(スローター)と言って、Stow-on-the-WoldとBurton-on-the-Water(バートン・オン・ザ・ウォーター)の間にあります。
SlaughterはLower Slaughter(ローアー・スローター)とUpper Slaughter(アパー・スローター)の2箇所あって、まずLower Slaughterの方に来ました。
Lower Slaughterは、かつては行政の中心地だったということで、今も17世紀のmanor(マナー・荘園)があります。
まるで絵葉書のような景色が目の前に広がっていて、どこを撮っても、誰が撮っても絵になります。
時間が止まっているかのように静かで、穏やかで、気持ちがゆったりしました。
そして、さらにもう少し車で奥に行くと、Upper Slaughterがあって、ここは時間がもっとピタッと静止している感じがしました。
あまりにもきれいな自然の中で、時の流れを忘れてしまいそうでした。
Slaughterを後にして、次に来たのは、Bourton-on-the-Waterです。
ここはかなり人も多く、見所もたくさんあって、レストランやショップも軒を連ねています。
川に沿って散歩道があって、老夫婦や家族連れも散歩を楽しんでいました。
たくさんの美しい橋が川にかかっていて、”Venice of the Cotswolds”(コッツウォルズのベニス)としても知られているようです。
少し時間をかけて、ゆっくりいろんなお店をのぞいて見ると、たぶんまた新たな発見ができると思います。
最後に来たのは、Burford(バーフォード)です。メインの通りが坂道になっていて、その両側に、おしゃれなショップやレストランが並んでいます。
通りを行く人を眺めながらのんびりと、おいしいスコーンと紅茶を飲んで、ゆったりした気分になれました。
2日間あっという間に過ぎ、いよいよコッツウォルズともお別れです。
泊まっていたB&Bの外の景色を、しっかりと目に焼き付けて、次のOxford(オックスフォード)に向かいました。
もう迷わないように、ジョーに道を教えてもらい、再会を約束して、B&Bをあとにしました。
羊の柵の横で車を止めて、体いっぱいにおいしい空気を吸って、羊たちにもお別れしました。
車にもかなり慣れてきて、オックスフォードまでは、標識に従って、かなり楽に来れました。
そして、もちろん、オックスフォードは、かの有名な大学のまちですから、興味があって、まちの中を歩いてみました。
古い建物の間に新しい建物があったり、ちょうどバーゲン中で人もいっぱいでした。
2階建てバスを見て、コッツウォルズとはまた別のイギリスに、ああ、そうだった、と再認識した感じでした。
3月末で少し寒かったので、2階の席は人がチラホラでした。
ハーツ(レンタカー会社)で車を返してここオックスフォードからロンドンまでは電車です。
終点のロンドン・パディントン駅まで、流れていく景色をぼ~っと眺めながら、のんびり電車の旅を楽しみました。
ロンドン・パディントン駅は、旅行者や地元の人で、当然オックスフォード以上に人があふれていていました。
構内を普通に自転車で行く人の姿も、よく見かけ、日本では見られない光景なので、思わず撮ってしまいました。
駅の中には警察官もたくさんいて、何でも親切に教えてくれます。
「はがきを出したいんですけど、ポストはどこですか?」なんていう私の質問にもていねいに応対してくれました。
アメリカでsubway(地下鉄)は、イギリスではundergroundですね。
ロンドンはニューヨークと同じように、あらゆる人種の人がいて、観光客も多そうでした。
この2人も路線図で、「こう行って、こう行って・・・」なんてやってました。
ロンドンで泊まったホテルの近くに、有名なハイド・パーク(昔、中学校の教科書に出てきたことがあったような・・・)があって、朝、散歩に行ってみました。
あまりにも広くて、ほんの一部回っただけでしたが、馬も歩いているのを見て、ああ、イギリスっぽいヮ、なんて感激してしまいました。
パトカーがカラフルで、それぞれ違う色に塗られていて、かわいく目立っていました。
白鳥と鴨が仲良く(?)遊んでいたので、逃げちゃうかも、と思いながら近くに行ってみました。
何と目の前に行っても逃げるどころか、さらに近づいて来たので、生まれて初めて真正面から、白鳥の顔を見ることができました。
(いや、実は目が合ったのです。)
きっと人間に可愛がられているんですよね。
ロンドン・パディントン駅から電車で、Heathrow(ヒースロー)空港まで、約20分でした。
空港は、人でごった返していて、チェックインにもかなり時間がかかりました。
8日間という短い旅行とは思えないくらい、いろいろな体験ができました。
そして、何よりも、初めて行ったイギリスでたくさんの人に親切にしてもらい、お金では買えない「宝物」をもらって、あたたかい気持ちで日本に帰って来ることができ、本当にうれしく思っています。
みなさん、ありがとうございました!!